2019年05月28日

三重県へ、伊勢神宮・外宮

     5月28日(火)

伊勢路2日目は、夜明と同時に行動開始でまずは伊勢神宮の外宮へ。
本当は猿田彦神社へ向かったつもりだったが、どこで道を間違ったのか先に外宮へ
到着してしまいました。

やはり、ここも早朝の時間に行って良かった。
凛と張り詰めた空気の中で、緊張感すら覚えたものです。

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来歴などはこちらから
https://www.isejingu.or.jp/about/geku/index.html 

正式な名称は豊受大神宮、豊受大御神(とようけのおおみかみ)をお祀りしています。
内宮の天照大御神のお食事を司る神様であり、衣食住、産業の守り神としても崇敬されている。

本殿まで行くとその先は撮影禁止、それでなくともここまで来ると写真のことなど、忘れて
しまうほどの日常からかけ離れた空気感でした。
帰る頃には少しづつ参拝者も増えてきたようで、次の猿田彦神社へ向かいました。

明日へ続きます。




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2019年04月29日

等覚寺の松会神事へ

4月29日(月)

京都郡苅田町の山口地区、標高約300メートル地点にある「白山多賀神社」は、その昔、
山伏たちの修験の霊山で、「英彦山六峰」のひとつに数えられた等覚寺一帯の中心です。

毎年4月の第3日曜日に千年以上前から続く修験道のお祭り「等覚寺の松会」が今に
伝えられている。

農耕予祝の神事で、獅子舞・お田植・幣切りなどが行われ、かつては英彦山がその発祥と
云われ、今は元日の柱松神事、三月の御田祭、四月の神幸祭などに分けられて、それを
みることが出来ます。

古式を伝える白山多賀の松会神事、先日21日に行って来ました。
日曜日に出かけるというのは中々できない事で、随分久し振りでやはり行って良かった。

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到着の時間が早過ぎたので、チョット登って青龍窟まで。

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サンキライや、アケビ、ムベなど秋になれば面白い実モノが実るんだろうな。

天気も良いし、思わず奥へ奥へと道を辿って遊んだが、そろそろ神事が始る頃なので
神社へ行かねば。

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白山多賀神社鳥居から参道へ。

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御田祭や鉞舞いなど一連の事は、英彦山でも見られることだが、ここでは地元の
子どもたちの早乙女舞などもあり、牛の登場となれば会場はドッと沸く。
厳粛の中にも、どことなく土の匂がするような和やかさがあり、好いものだ。

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いよいよこれからがクライマックスへと向かう。

今年の主役の施主の登場となり、法螺貝が鳴り響く中、口に榊の葉を、腰に刀を差して
大御幣を背中にくくりつけて柱松を施主がよじ登る。

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頂上では、大御幣で天地四方を祓い清める。
いよいよ腰の大刀を抜いて幣切りにいどむ、ここからが松会行事最大のクライマックス。

皆が固唾を飲んで見守る中、柱松の頂上の施主は幣串を大刀で切り落とす。
幣串が切れると最後に大御幣を切り落とす、神の御霊が宿る御幣は、ひらひらと落ちてゆき
大地を清めるのです。
五穀豊穣が約束され、この神事は終了となります。
有り難うございました。


★ つれづれに一句

  新緑の 中なる千年 神事かな   yamahiko
    ・しんりょくの なかなるせんねん しんじかな
























posted by yamahiko at 21:03| 史跡ご案内

2019年03月22日

九重町の瑞巌寺摩崖仏へ

3月22日(金)

いつも九重山へ向かう時にお馴染みの国道210号線、玖珠から九重町に入る分岐点あたりで
県道409号に曲がりしばらく行くと、瑞巌寺摩崖仏が道沿いにある。

今日は、このあたりを巡って来ました。

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堂宇の正面岩肌に5体の磨崖仏が彫られ、 作風は国東半島の磨崖仏に類似しているというが、
肝心の摩崖仏が写ってないですね。
こういうウッカリがありますが、そこは気を取り直して参りましょう。

・・・ここはかつて、国東半島の六郷満山を開いたといわれる僧仁聞が、養老年間(717〜723年)
に創建したと伝えられる瑞巌寺のあった場所である。
県道沿の石段をのぼると、凝灰岩の崖面に幅7m、高さ2.5mほどの浅い龕(がん)を穿(うが)ち、
その壁面に不動明王(ふどうみょうおう)を中心として、右に矜羯羅童子(こんがらどうじ)・
増長天(ぞうちょうてん)、左に制多迦童子(せいたかどうじ)・多聞天(たもんてん)の五躯が
半肉彫りされている。
磨崖仏の製作年代の詳細は不明であるが、平安時代末期の作ともいわれている。磨崖仏はお堂に
よって覆われ、前庭に藤棚をつくり花の季節にはみごとな花を咲かせる・・・。
     (九重町観光協会サイトより)

あぁ、ここにも仁聞上人が登場するんだなと思う。
豊前・豊後の古寺を巡るとその開基に関わる人物として、よくこの上人の名前を眼にする。


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その昔豊前・豊後一帯には、「ウサ・ラカ・ヒコ・クボ」と云う言葉が伝えられていたそうな。
それは一生のうちに、宇佐神宮・羅漢寺・英彦山・求菩提山を参拝すると、後生の安泰が約束されると
いうもので、人々はそれを心のよりどころとしていたという。

この九重にも足跡を遺した仁聞上人から、国東六郷満山を思い宇佐・英彦山・更に求菩提山との
繋がりへと思いは膨らむばかりでした。

★ つれづれに一句

  春愁や 祈りの道を 行くほどに    yamahiko
    ・しゅんしゅうや いのりのみちを ゆくほどに

磨崖仏周辺には、縄文人の生活跡である二日市洞穴や二日市横穴墓群などがあり、ちょっとした
歴史巡りの一日でした。









posted by yamahiko at 22:48| 史跡ご案内