2019年01月23日

別所谷を歩く

1月23日(水)

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別所駐車場から少し登り、国道沿いに九州自然歩道に入ると昼なお暗い路になり、整然と続く
石垣群に初めてここを通るハイカーは驚くことが多いという。
この一帯は別所谷と云い、かつては「別所百坊」と称されたほどの集落をなしていた。

国内中を徒歩で実測して、初めて日本地図を表わした江戸時代後期の伊能忠敬と云う人。
その足跡を辿るのが今ちょっとしたブームになっているが、伊能一行は英彦山にもやって来ていて
1812年(文化9年)7月11日、大分県側の下毛郡から薬師峠へ上がり豊前坊、そしてこの
別所谷を実測しながら通過している。
その記録には、〜〜〜高天ヶ原字別所谷、人家凡六十軒ばかり〜〜〜と記している。

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歴史に埋もれたようになっているこの谷も、昔を偲びながら歩くと思いは深くなるもので、
ここに山伏達のどんな暮らしがあったのだろうか。

そして、この先には「六地蔵」の静けさがある。

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石橋を渡ると、広場のようになっておりここは「六地蔵」、「地蔵坂」とも云われています。
突き当りの山側に石段があり、その上がまた広場になっておりここに地蔵が祀られている。
ここは京築方面や豊後方面からの英彦山参詣道の合流地点であり、前に流れる渓流で身を清め
聖域に入って行ったと云います。

そして眼を引くのは、六角柱のそれぞれの面に地蔵が刻まれており、現存するものとしては、
貴重であります。
この一帯が、「六地蔵」と云われるのが納得ですね。

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背景の杉山には、無縁となってしまった墓石が埋もれたり散乱している。
苔むした自然石で上部に梵字が刻まれ、山伏の戒名が僅かに読むことが出来き、かつての
「別所百坊」の山伏やその家族のものだろう。

ここは、正者と死者の世界の境という事になりますね。

いつもは見逃している何気ないところにも、秘めた歴史があり物語がある。
それが英彦山でもあります。

★ つれづれに一句

  修験者の 墓の群れとや 風冴ゆる   yamahiko
   ・しゅげんじゃの はかのむれとや かぜさゆる






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2018年09月27日

夜明の志賀神社へ

  9月27日(木)

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英彦山から阿蘇方面の山行の折などに東峰村を抜けて小国方面へ向かう時に、通るたびに気になっていた
夜明(よあけ)三叉路にある志賀神社。
目的の山がある時などは、途中下車して神社に立ち寄る事は中々できないもので、それならばと昨日この
神社訪問となりました。

JR日田彦山線と久大本線が繋がるポイント「夜明駅」からも近く、三隅川を挟んで北側に国道386
号線、南側に国道210号線が走っていて、久留米と日田を結ぶため車の往来が多い。

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ここ夜明の地域を守る村社として、志賀島の志賀海神社から勧請されて祀られた神社です。
海(航海)の守り神をこんなひなびた里に祀ることを不思議とも思えますが、三隈川は筑後川となり、
有明海へと到達します。
その昔の交通や物流を支えたのは川、そして海だったことを考えれば、海の神を祀るのは納得ですね。

で、この神社に興味を持った本当の理由は、この丸っこい石が積まれた石垣なのです。

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通るたびにこの石垣が眼を惹き、いつかゆっくり見てみたいと思っていた。

三隈川から運んで来たのだろうか、丸く角が取れた、均等の大きさの石を人々が積み上げていく。
信仰心とはいえ、昔の人は勤勉にそう言う事を当たり前に行っていたし、しかも美しく、 崩れることも
なく平成の世まで守られている事に心打たれる。

人々が河原から石を運んで、今なおそれが遺り・・、と云えば英彦山にもある。
英彦山の麓にひっそりとある、「雲母坂(きららさか)」がそれです。

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雲母坂は、英彦山参拝道の「日田道」の一角で、日田から東峰村を通り、貝吹峠を越え、この石畳を
歩き、英彦山へと入ってきた。
参詣の起点となる、重要な場所でもありました。

歩いてみるとよくわかるが、表参道のゴツゴツした感じと違い、丸くてツルツルしている。
参道の石は山から切り出したもの、雲母坂の石は近くの祓い川から運んだものだと云い、江戸時代末期に
英彦山信仰に篤かった佐賀野の有志が施工したと記録にある。

人々は山を越え谷を越え、遥かに英彦山を目指した。
人の思いと手の掛かった、祈りの道「雲母坂」です。

夜明の志賀神社の石垣と英彦山の雲母坂、いにしえの人々が丹精込めて築き、それを
今に伝える足跡でもあります。
posted by yamahiko at 00:00| 史跡ご案内

2018年09月22日

東峰村、深仙宿は

9月22日(土)

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英彦山から東峰村へ向かう、長谷峠を過ぎ村の入り口付近に立ち並ぶ行者杉の一角にある「修験の路」の
道標は、そこから始まる英彦山史跡の第一歩だ。

英彦山と東峰村は峠を隔てたお隣さんという位置にあり、昔から英彦山詣での街道としても深い
繋がりで結ばれてきた。
英彦山修験の足跡も多いが、「修験の路」の奥の行者堂周辺はその代表格かも知れない。

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行者堂は深仙宿(しんぜんしゅく)と呼ばれ、英彦山山伏の春峰入りの重要な行場で、一週間ほど
滞在して修行を重ねたという。
護摩壇は、1782年(天明2年)に造立され、平成元年解体修復されています。

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その裏手から木段を下ると今も霊水が湧く「香水池」があり、峰入り古道が続いている。

何年か前に山岳雑誌「のぼろ」で太宰府まで続くこのコースが紹介された時は、登山者の間でここを
走破することがちょっとしたブームになったこともあった。

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この一帯の杉の巨木群は、行者杉(ぎょうじゃすぎ)と云われている。
その由来はかつて修験者たちが春峰入修行の際に、重要な修行場であったこの地に奉納植栽したもので、
修験者にとって天を突く杉は、樹齢が長く魂が宿るとされ信仰の対象でもあったようです。

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筑前と豊前の国境を示す「国境の碑」があり、背中合わせに埋められた石碑にはそれぞれ、「従是西筑
前領」・「従是東豊前小倉領」と刻まれている。

旅人の往来が多かったその昔の名残りを、今に伝えているようです。
陶(すえ)の里、東峰村の歴史散策は面白く奥が深い。

★ つれづれに一句

  峰入りの 路は果てなし 秋澄めり   yamahiko
      ・みねいりの みちははてなし あきすめり
posted by yamahiko at 00:59| 史跡ご案内