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別府で開催された、「九州観光ボランティアガイド研修会」へ参加しました。
九州各県からそれぞれのガイド組織の代表者が年に一回集い、活動の報告や問題点を
話し合うもので、毎年参加していると顏馴染みも出来て互いの健闘を称え合う事も多い。
基調講演に始まり、各部会にわかれての質疑応答やらで時間はたちまち過ぎてゆく。
いつも思うのは一人の市民でありながら、我が郷土の為にと皆が涙ぐましいほどの熱意で取り組み
そしてなお喜々としていることだ。
良い刺激受け、勉強になりました。
お疲れさまでした。
さて、内々の研修会のことはこれくらいにして、帰りに立ち寄った湯布院の「宇奈岐日女神社 ・
うなぐひめじんじゃ」へ。
どこへ行っても、ライフワークのようになっている神社仏閣巡りは欠かせません。
湯布院辺来るたびにいつか行ってみたいと思っていた神社で、金鱗湖などがある方面の裏テに
当たり、観光客も訪れない静けさの中に鎮座する社です。
御祭神 國常立尊
國狭槌尊
彦火火出見尊
彦波瀲武??草葺不合尊
神倭磐余彦尊
神渟名川耳尊
御由緒 創祀は人皇第十二代景行天皇の御宇、十二年冬十月。 嘉祥二年(八四九年)六月『從五位下』
(続日本後紀)。
元慶七年(八八三年)九月二日『正五位下』(三代実録)に叙されている。
延長五年(九二七年)『延喜式』の『神名帳』に列記された『式内社』である。
明治六年郷社、大正十二年県社に列せられた。
−境内案内−
通称「木綿神社」・「六所宮」で、祭神は六柱。
康保年間(964〜967)、日向霧島の霊場を作った性空が由布岳、鶴見岳を中心に六観音の
霊場を開き、当社を修験の霊場としたことにより、六社権現とも称されているそう。
「式内社」とは、これまた古格を誇る神社ということになりますね。
鳥居をくぐり参道を進み、社務所の前を通過すると神門があり、その奥に社殿のある境内。
境内中央に拝殿があるが、その前に橋がかかっている。
手前の拝殿は入母屋造り、後方の本殿は朱色の流造りになっている。
平成3年の台風で倒れたという、ご神木の切り株が整然と置いてある。
この大きさを見ると、周囲の鎮守の森はもっと鬱蒼としていただろうし、さぞかし
神々しいものだっただろう。
それでも石垣も社殿の塗りも長い風雪に、サビた味わいでそれが風格にもなっており、やはり
訪ねてよかったな。
有り難うございました。
★ つれづれに一句
盛衰は 歴史の慣ひ 冬ざるる yamahiko
・せいすいは れきしのならい ふゆざるる