2020年10月02日

毛谷村へ

10月2日(金)

英彦山から、大分県側へ下るときに通り抜ける野峠。

この野峠は急カーブの連続の難所であり、そこを下がった山中に大分県の秘境とも云える
毛谷村はあります。
この小さな村は、毛谷村六助の伝承地として知られている。

彦山権現に祈願してこの毛谷村に住む夫婦に授かった六助は、力持ちで親孝行だったそうな。
彦山豊前坊で天狗から剣術を授けられたともいわれ、成人した六助は、加藤清正の家臣となり、
名を貴田(木田)孫兵衛と改め、文禄の役の際には、各地で功を立てたという。
彼の名が人々に知られるようになったのは、『彦山権現誓助剣』(18世紀末)という仇討ちを
物語とした歌舞伎によってである。

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今も何軒かの田舎家がありのどかな風景が広がっているが、廃屋が多く閑散とした静けさだ。
庭の草が茂り放題の家は、無人になった時の流れを物語っているようにもみえるが、稲刈りが
終わった田んぼが僅かでもある事が、まだこの集落に人の暮らしがある証しのようにも思える。


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集落の外れの小高い所からは、英彦山系の苅又山や三陀山の山並みが連なって見え、この
景色を六助も眺めたのだろうか、などと思いを巡らせる。
そして、昔の雪深い冬の暮らしはどんなに過酷なものだったろうか、とも。


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武勇伝あり仇討の助っ人もありの、波乱の生涯を送った伝説の人毛谷村六助の墓は
集落の中ほどにあり、近くには駐車場もあり案内板も整備されている。
集落では持ち回りで六助の肖像画を掲げてお経あげをし、お供えの赤飯や煮しめをいただく
「お茶たて」という行事が平成24年まで行われていたと云います。

歌舞伎にもその名を残し古里の誇りとして伝承され、皆で囲む直会は集落の娯楽も兼ねた
大事な行事だったろうし、英彦山の験力と共にこれからも語り継がれる毛谷村六助です。

★ つれづれに一句

  語り継ぎ 守り継ぐこと 秋高し   yamahiko
   ・かたりつぎ まもりつぐこと あきたかし

  







posted by yamahiko at 21:13| 史跡ご案内