2020年03月10日

智室窟へ

3月10日(火)

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久し振りに、智室窟へ行ってみよう。

南岳コースの、智室谷へ差し掛かりました。
かつての山伏集落の一つで、坊舎跡の苔むした石垣が往時を偲ばせ、初めてここを通り
かかった登山者は、山中の見事な石垣群の出現に驚きの声を挙げる。

ここを通り過ぎて、少し登ったら智室窟に到着です。

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窟とは山伏の修行の場を言い、英彦山の内・外に四九あると言われ、鎌倉時代に
編纂された「彦山流記」に、この四九窟が記されています。
特にここ智室窟は当時の様子をよく残しており、その昔の堂宇などの建築物の跡と
思われる礎石なども見てとれます。

今でも参拝者がいるようで、残された蝋燭や線香などが新しく辺りの清掃が行き届いている。


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敷地内にある、屹立した大きな岩。
ここも信仰の対象になっていて、窟が「陰」この岩を「陽」と見立て対比をなしている。

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そしてここの特徴は、大岩の下にずらりと並んだ一九基の板碑です。

板碑とは供養の為に建立した塔婆の一種で、英彦山のそれは自然石を適当な大きさ、形に
打ち欠いたような形になっています。
それぞれに梵字が彫られ、その下に建立の願文、建立者名、年号などが刻まれています。
その梵字は、ほとんどが虚空蔵菩薩でそのことから、ここは「虚空蔵窟」とも云われ、
地元の古老は「コクウゾウさん」などと呼び慣らしている。

一番古いものは嘉吉二年とあるので、約六〇〇年前のものと分かります。
そして三十三回忌と刻まれているので、追善供養三十三回忌を無事に終えた記念に、
建てられたのでしょう。

ここに立っていると近くを通る登山者の声が響いてくることがあり、長い風雪の
時間から呼び戻されたような感覚になる。
昔の英彦山を今に伝える、智室窟の山気、霊気です。

★ つれづれに一句

  春愁や 山は謎秘め 歴史秘め   yamahiko
    ・しゅんしゅうや やまはなぞひめ れきしひめ





posted by yamahiko at 14:07| 史跡ご案内